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CATEGORY: こふん



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豊穣の器と水神

田の神 memo.

カガセオ幻想(14)

かごめ かごめ(2)

かごめ かごめ

星の印の鈴をつけた馬(2)

星の印の鈴をつけた馬

三環鈴のゆめ

剣と鏡と鈴(memo.2)

剣と鏡と鈴(memo)





 

 

TITLE: 豊穣の器と水神

CATEGORY: こふん DATE: 04/19/2018 10:10:13


 

前方後円墳の方型が、
ちょうど丘陵の崎の斜面から川に向いていて、
まるで山から川に注ぐ水瓶のように配置されている地図をみかけた。
偶然にしても面白いが、
ほんとうに水瓶だったら面白い。
なにかその地元の伝承などないかと探してみた。

「今治地方の伝説集」より

93.膳椀を借してくれた大岩
 昔、上徳の御当さんの前夜に、里人の代表者が揃いの羽織袴で大神宮さんの岩の前に行き
「明日御当さんをいたします。
つきましては、膳と椀を何人分お借し下さいますようにお願いします。」
と頼むと、翌朝にはその数だけ整然と……(略)……
このように祝儀や法事等で、家に人寄せがある時に膳椀を頼むと借してくれたといったような伝説は、
全国のどこにでも数多く見られます。

とりわけ、大きな石や塚(特に古墳)深い淵、祠跡のようなところには、
こういった類似の伝説が多いようです。
……このあたりでは
野間の塔元、新谷の長山の夫婦塚、矢田の奥矢田の塚穴、
高地の埋塚、玉川町の小鴨部の砥石塚、朝倉村朝倉下の樹之本等の塚穴や古墳、
波止浜沖之町円蔵寺裏山の祠、大西町山之内の重茂山中腹の七つ岩、等に
この膳椀貸しの伝説が残っています。

「今治地方の伝説集」一覧… 今治商工会議所HP


今治商工会議所HP「今治地方の伝説集」では、
「高地の埋塚」に膳腕貸しの伝説が残る。
高地栗谷の古墳や遺跡のこと?
この伝説によれば、豊穣の器と古墳や塚が結びついている。
ケルトの妖精伝説とも似ている。
この辺りの古墳から馬鈴や、中国で紀元1世紀に鋳造された銅鏡出土。
雨ごい伝説多数。

http://www.kotaro-iseki.net/sumizumi/05-asakura.html

このサイトさんが、とてもわかり易い。
上記サイトさんから引用。

樹ノ本古墳(きのもとこふん)【朝倉村下岡】
1998/8/22
・村指定史跡
・古墳のまわりには塀をめぐらし、円筒埴輪を埋めてあった。

・明治41年4月の発掘で「長相思、母常忘、楽未央」銘の漢式獣帯鏡(円座乳帯細式)が出土した。

・現在では、古墳の盛り土の上に、天武天皇時代の浄禄寺開祖・「輝月妙鏡津尼」の墓が釈迦三尊の碑と共に建っている。
この尼僧は、住民のために水路を作り、今も「尼が井出」という地名が残っている。
・細線式獣帯鏡(さいせんしきじゅうたいきょう)が出土した。
現在、東京国立博物館(旧東京帝室博物館)で管理。
直系24cm、後漢時代初期(1世紀)に中国で作られたと見られている。
((1)参照)
《資料・文献》
(1).「朝倉村出土の青銅鏡 1世紀ぶり初の里帰り 市町村合併前 悲願の展示」、「へえ、そうなんだ えひめのニュース」、愛媛新聞、2004/3/1
(愛媛の風土と観光、愛媛県商工労働部/愛媛県観光協会、平成5年3月)


推測していたイメージに近い。
古墳・塚など地方豪族ゆかりの聖域に、
天武天皇の時代に仏教施設を建てた。
古墳の盛り土の上に建てたというから意図的だ。
尼が村人のために水路を開いた、
という信仰に上書きされる前には、
古代の聖域ゆかりの水神信仰があったはず。
これはヤマト朝廷の治水権の掌握か。

王権と治水権(水神の祭祀者が誰であるか)とが
深い繋がりを持つことを感じる。
ヤマト朝廷の仏教による国家統一とは、
地方の水神の祭祀地に、
弁財天を奉じて国分寺を建てることでもあった。
治水者を掌握・統率したわけだ。
稲作農耕社会の穀物霊・豊穣神への祭祀者だった天皇は、
水の神にもなった。

と考えてみると、
水源や水道・穀物の種子を護らない「国」というものは、
国土に根差した古代の国家観からは、
大きく逸脱した「ナニモノカ」へと変質しているわけだ。
現代の国造り、これで大丈夫なのか、と憂えずにいられない。
ましてや「瑞穂の国」の名を冠する「愛国・ナニモノカ」なのだ、
少子笑止。

 

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TITLE: 田の神 memo.

CATEGORY: こふん DATE: 04/19/2018 09:29:01


 

田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。
作神、農神、百姓神、野神と呼ばれることもある。
穀霊神・水神・守護神の諸神の性格も併せもつが、とくに山の神信仰や祖霊信仰との深い関連で知られる農耕神である。
(Wikipedia より引用)

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%94%B0%E3%81%AE%E7%A5%9E&oldid=62573935
(Wikipedia 田の神)

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%88%E3%81%B3%E3%81%99&oldid=66365264
(Wikipedia えびす)
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%94%B2%E8%B3%80%E4%B8%89%E9%83%8E
(Wikipedia 甲賀三郎)

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88&oldid=65388220
(Wikipedia 神無月)

留守神
神無月(かんなづき)(旧暦10月)に神々が出雲(いずも)へ集合している間、家や村にとどまって留守をしているという神。
竈(かまど)神(荒神(こうじん))、恵比須(えびす)、大黒(だいこく)、亥(い)の子(こ)神、道祖神(どうそじん)、金比羅(こんぴら)などを留守神とする所が多く、これらは総じて田の神、家の神的性格をもつもので、しばしば旧暦10月を祭日としている。
神無月には神不在であるとの伝えが一般化したのちに、不在であるにもかかわらず、これら一部の神の祭りがあることの不可解さの説明のために、留守神の考えがおこったのではないかとされている。
[田中宣一]
[参照項目] | 神無月
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 留守神(るすがみ)より

ほぼ勘だけれど、
古墳時代には各地の豪族に
星神(オリオン・シリウス)など天体信仰が意識されていて、
それがヤマト朝廷との関係でいつしか消えた神になり、
田の神(えびす≒毘沙門天≒北辰信仰)
(大黒≒オオクニヌシ≒大黒天≒シヴァ信仰)
留守神として民の間に伝えられた。
甲賀三郎の伝説は面白い。

http://washimo-web.jp/Tanokami/TanokamiIndex.htm
鹿児島の田の神についての特集サイトさん。

 

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TITLE: カガセオ幻想(14)

CATEGORY: こふん DATE: 04/19/2018 08:38:26


 

 日本書記や古事記は、日本神話を古めかしく別世界のことのように描いているが、成立時期が新しくて8世紀初頭の奈良時代。
紀元後79年にはポンペイが火砕流に埋まったし、紀元後4世紀にはキリスト教がローマ国教化されて、多神教的な教えは異端とされ東方へ流出、7世紀には景教が中国の唐で流行した。

 7世紀の飛鳥時代に日本に伝来した仏教とは、救世主(弥勒)信仰の景教(ネストリウス派=異端キリスト教)の要素が強かったという説もある。
紀元1世紀のローマでは、キリスト教は新興勢力で、火山灰に埋もれたポンペイでは「ディオニュソス(ワインと豊穣の神、聖樹は松)」が厚く信仰されていた。

 紀元1世紀のギリシアの神官プルタルコスの著述「オシリスとイシスの伝説」によれば、ギリシアのディオニュソス信仰(秘儀を含む)は、エジプトのオシリス・イシス信仰に酷似しており、ほぼ同じ神とみなされる。
豊穣神の秘儀についてミトラ教も類似しており、これら信仰の共通点は天体信仰を含むこと。

 キリスト教が三位一体の神学論争をローマで繰り広げ、多神教世界を繋ぐ星・日月・暦にもとづく天体信仰を「異教」と排除したのが4世紀。
排除された知識人が流出、東方文化に影響を与えていても不思議ではない。
陸路も海路もあった。
地中海文明の天体信仰が、5世紀の古墳時代の日本にも伝播していた?

 様々な派に分かれ、東方で布教を行うキリスト教は、その土地の神が祀られる場所にキリスト教の教会を建てたという。
古事記・日本書記に語られる「天津神・国津神」の関係に似ている。
飛鳥時代に景教が伝来、奈良時代には仏教を国教化して大仏の像を造り、各地の水神を弁財天とする国分寺が建立された。

 文字で記録されていない古代日本の信仰がどんな形であったか、遺物から広げる想像の域でしかないが、少なくとも古墳時代の日本には天体信仰があり、王墓を彩っていた。
飛鳥時代に景教(異端キリスト教)が伝来、奈良時代には天皇家は仏教を国教に選び、各地に国分寺を建て、土着神は仏教に習合された。

 奈良の都は、貴族・役人が集中して住むエリアだった。
国家の中央集権化に伴い、古事記・日本書記など日本神話を編纂したが、必ずしも古代日本の信仰(としてまとめられたライフスタイル)の全貌を伝える内容ではなかろう。
日本書記に記されない謎の列石など各地に残る。
それを蛮族の文化とはいえない。

 先住の民の文化とは、アフリカ大陸を出発して数万年、海路あるいは陸路を越えて東の果ての島国にたどり着き、自然の風土を保ちつつ適応し、生き抜いてきた祖先の開拓精神そのものだ。
幾重にも渡来する人々がいただろうが、様々な時代・地域から持ち寄られる異文化(あるいは同根文化)と融合してきた。

 寛容な多神教の文化が、明治維新以降、天皇崇拝・太陽女神(天照大神)への国家神道的な色彩に塗り替えられ、東西文化の融合する(けれど土着神との習合の痛みも当然あって、長い歳月のうちに根付いた)仏教文化を「廃仏毀釈」で破壊し、神国として富国強兵・教育勅語で軍国主義へと進んだ悲しい歴史。

 おおざっぱにいうと、謎の星神、語り残されなかった先住民の星神=埋もれたカミサマは、それだけ存在感の大きいカミサマで、案外グローバルなカミサマでもあったのだろう、夜空の星は世界のどこから見上げても目印になる。
そして、この混迷の世に気になるカミサマでもある……明治150年なんて小さい。

 

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TITLE: かごめ かごめ(2)

CATEGORY: こふん DATE: 04/19/2018 08:22:06


 

かごめ かごめ
かごのなかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つると かめが すべった
うしろのしょうめん だあれ

「かごめ」を王墓と解釈できないかな?
古墳は、
かご型の堀にかこまれた多重円(め)に
壺の注ぎ口がついた形。
古墳に葬られた王の魂(鳥)は、
いつ再生復活するのか?

古墳は、神社とは違う。
古事記では「みささぎ」と記していた。
神社は鳥居によって神域を示し、
奥に宮があったり御神体(ときには岩や山)がある。
鳥居が象徴するように、神域への入り口だ。
いっぽうの古墳は民が詣でるものではなく、
封印された王墓だ。
ピラミッドも同じ。
祖霊が眠り再生する舞台装置。

ケルトのアーサー王伝説では、
アーサー王は妖精の丘に眠り、
終末のときに角笛が吹かれると目覚め、
騎士たちを率いて再び戦うのだという。
ケルトには豊富な妖精譚、
ドルメン(巨石)信仰や、
ラース(塚=墓所)信仰、
そして常世の国信仰があった。
これは日本の東北の民話(妖怪譚)とほぼ同じと感じる。

前方後円墳の形を不思議だとは思っていたが、
これといったイメージも浮かばず、
それにまつわる物語を読みもせず伝え聞いてもいないので、
とくに関心も持たずにいた。
しいてあげるなら、
インドのシヴァ神の「リンガとヨーニ」に似ているかな……と。
ところがふいに思い浮かんだ、「再生の壺」?

生命力の象徴として壺自体が装飾のモチーフとされた[1]。
古代オリエントでは生命力を象徴する生命の樹と呼ばれる文様があったが、ヨーロッパに伝播する過程で「生命の泉」を表す壺の中から植物がのびた図像に変化し、装飾の図柄として好まれた。

初期のキリスト教世界では、壺はキリストの復活と再生を象徴する洗礼盤を暗示し、キリスト教の信徒を象徴する鳥獣が壺の左右から水を飲む文様は、キリストと信徒の関係を示すモチーフとして重要な役割を持った。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A3%BA&oldid=66877836
上記、Wikipedia より引用。

Wikipedia「壺」の記述によれば、
かつて壺は再生の器としてシンボライズされていた。
濠(水のかご)にかこわれた壺(墓所)の中で、
眠っていた王の魂が再生する、
慈雨・流水のめぐみをもたらすイメージだ。
円墳の前に設けられた方型は、
壺の注ぎ口であり、
再生した王の魂の出口、
恵みの流出口となる。

豊かな水あるいは食物など、
恵みが湧き出てきたり、
生命が再生する「聖なる器」は、
神話の大きな要素だ。
聖書の「イエスの山上の教え」で魚やパンが出てくる籠。
ケルトの善神ダグザが持つ豊穣の大釜。
アーサー王の円卓の騎士たちが探し求める「聖杯」。
大仙山古墳にも、ガラスの青い壺と白い皿が眠る。

 

 

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TITLE: かごめ かごめ

CATEGORY: こふん DATE: 04/18/2018 10:55:51


 

かごめ かごめ
かごのなかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つると かめが すべった
うしろのしょうめん だあれ

「かごめ」を王墓と解釈できないかな?
古墳は、かご型の堀にかこまれた多重円(め)に壺の注ぎ口がついた形。
古墳に葬られた王の魂(鳥)は、
いつ再生復活するのか?

よあけの ばんに
つると かめが すべった
うしろのしょうめん だあれ

「夜明けの晩」は、夜明けの日食、それとも夜明け前の闇、
夜も朝も区別ない時間の混沌?草創期の王国の苦難?
つるは千年、かめは万年。
つるは丹頂鶴なら新興の日の出の神、かめは玄武の例から古代の山神。
一緒にすべった?

日食なら、つる(日輪)かめ(日輪をかくす月影)
つるとかめがすべって、日輪がかげり闇になり再び光がひろがる。
長い時・信仰・王国の時代イメージなら、つるもかめもすべって、
大混乱期、秩序の崩壊・再生の時期。

うしろのしょうめん だあれ

王墓に眠りつづける魂がめざめるのは、そのとき。

 

 

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TITLE: 星の印の鈴をつけた馬(2)

CATEGORY: こふん DATE: 04/18/2018 10:35:35


 

お盆の迎え火・送り火、
その炎に葉の先から水を滴らせたり、
立ち昇る煙にのって
「御先祖さまが訪れる」と宵闇に語る。
ナスの牛、キュウリの馬を作って祖霊の乗り物とする。
そんな風習は、
奈良時代以降の仏教の行事なのだろうか。
もっと古い祖霊信仰に由来しているのでは。
古墳の埴輪の馬ほどの古さの?

奈良時代以降、
仏教の国教化・律令制・天皇制を中心とした
中央集権国家への道を歩み始めた日本。
古事記・日本書記・万葉集などの
古典が残されているのも8世紀の奈良時代からだろう、
それ以前の、たとえば5世紀の古墳時代は
神話の領域になってしまう。
メソポタミアの粘土板の神話は5000年前の記録だ。

紀元後5世紀の古墳時代を神話の領域とし、
8世紀初めに成立した古事記・日本書記・万葉集は、
世界史のレベルで考えれば新しい。
キリスト教が世界宗教となったのも、
ここ2000年で新しい。
それ以前に、
多神教的な東西文化が融合した時代が長くあった。
日本の古典文学は、世界の神話の影響を受けている。

 

 

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TITLE: 星の印の鈴をつけた馬

CATEGORY: こふん DATE: 04/18/2018 10:28:46





昭和13年に大阪府堺市から出土して(伝仁徳陵)
アメリカのボストン美術館の所蔵品となった銅の馬鐸(高さ18.7cm)

……スケッチ画をさらに自分で真似して
書いたけど大幅に歪んでしまった……

刻まれたデザイン、これって宇宙樹かな?
地下に根があって、
上中下の三階層、右左に張った枝、斜線含めて星印だ。

馬を飾る馬鐸に「宇宙樹あるいは星印」が描かれ、
やはり馬具と推測される三環鈴が「五十鈴」と呼ばれ
天河神社(←天河=天の川、五十=北天の星神エンリルの聖数)
の神宝だったこと。
仁徳陵と伝わる5世紀の古墳の被葬者は、
死後の旅路を「星の印の鈴をつけた馬」に乗って
天上世界へ導かれたのだろうか。

大仙山古墳(仁徳天皇陵)は、
その規模の大きさから、
5世紀の古墳時代の西日本に君臨した王の墓とされる。
中国の文献では、
その頃の「倭の5王」の名が記され、
大仙山古墳は「讃=サン」王か
「珍=ティン」王の墓に比定されるという。
サンなら参で、オリオンの三ツ星。
ティンなら月神シンを奉じた王?

など、妄想が次々にひろがっていくほどに、
遺物から垣間見る古墳時代の王は、
星の世界への信仰を王墓にデザインして
後世に伝え残していった、のかもしれない。
そして、星の世界と地上世界をつなぐ神話群は、
汎ユーラシア的に広がり共有されている。
発祥は古代中東バビロニアの占星術とされる。

なぜ奈良時代に成立した日本書記で、
星神「カガセオ」が
ヤマトの神々にまつろわぬ悪役とされたのか、
不思議になってくるほど、
5世紀の古墳時代の王墓の遺物からは、
汎ユーラシア的な宇宙観
(宇宙樹=冥界からの湧水と天界の北極星とを結ぶ不動の軸、星信仰)
のニュアンスが漂ってくる。
符号していく。



 

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TITLE: 三環鈴のゆめ

CATEGORY: こふん DATE: 04/17/2018 19:15:14



三環鈴という謎の音具。
中国の北方騎馬民族国家・燕の馬具(馬につける鈴)で
同様なものが見つかっているそうだ。
日本には5世紀古墳時代に三環鈴が渡来し、
各地の古墳(九州・尾張・北関東)から銅鈴が発掘されている。
アメリカのボストン美術館には、
大阪堺市から出土した三環鈴が所蔵されている。


三環鈴を祀っている天河神社 Wikipedia のリンク

http://www.tenkawa-jinja.or.jp/
天河神社ホームページ

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92&oldid=66505109
天河神社ゆかりの 役小角(エンノオヅヌ)Wikipedia のリンク

三環鈴によせる夢想。
エンという音との縁。
古代中国「燕(エン)」の国より伝播した馬具。
「役小角(エンノオヅヌ)」という
修験道の行者が開いたという天河神社の神宝、
「五十鈴」は三環鈴。

エンは、
古代メソポタミアの人々が自称に用いた「キ・エン・ギ」
最高神「エン・リル」などの語を想起させる。

エン(王)リル(風)の意。
古代中東の最高神エンリルは風の神、山の神、海の神だった。
秘められた聖数は五十。
これらの神話は、
楔型文字が刻まれた粘土板(タブレット)に保存された。
エンリルは、
バビロニアの占星学とともに伝播した。
赤道を統べるアヌ、南天を統べるエンキ、北天を統べるエンリル。

エンリルは
創造神アヌの子・神々の会議の議長。
北天の星座(獣帯)を統べる牧者(狩人)とされた。
古代中東で
オリオン座を「アヌの真の羊飼い(狩人)」と呼んだのは、
エンリル神への信仰。
オリオンの三ツ星とエンリル神とが結びついた
「五十鈴(いすず)」は、
秘教的な山岳信仰も伴い、日本にも渡来?

 

 

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TITLE: 剣と鏡と鈴(memo.2)

CATEGORY: こふん DATE: 04/17/2018 18:53:51






「伝仁徳陵古墳(大仙古墳)出土品」

剣の柄頭。
紋様スケッチを真似て自分でも書いてみたけど、
三角に区切られた中に植物。
三重の楕円の花または実、
そして唐草紋様のような葉やツル。
どこの地域のどの紋様かはわからないけど、
大陸由来の、
エジプト・ローマ辺りにもありそうな
唐草紋様に似ている……?



★細線式獣帯鏡(直径23.5cm)…獣帯を刻んだ鏡。
獣帯はバビロニア発祥の星座の連なり。
黄道12宮の原案。
紀元5世紀頃の大阪・堺にオリエンタルな宇宙観が伝播。

「伝仁徳陵古墳(大仙古墳)出土品」銅の鏡。
細線式獣帯鏡(直径23.5cm) 獣帯に刻まれているのは、
青龍・朱雀・白虎・玄武。
中国の星暦では、
星空を東西南北のエリアに分けて四神獣を配し、
月の二十八宿をそれぞれ七宿ずつ各神獣に割りふり、
星図を描いたのだという。
道教・陰陽道は星信仰の影響が大。



★馬鐸(高さ18.7cm)…アステリスク。
宇宙樹紋様。
ば‐たく【馬×鐸】の意味

出典:デジタル大辞泉(小学館)
馬具の一。
中につるした棒と触れ合って鳴る青銅製の小さな鈴。
日本では古墳時代の飾り馬の胸につるした。
中国では馬鈴とよぶ。





★三環鈴(高さ6.3cm)…まるに三ツ星。
オリオン座の三ツ星だったら面白い。
あるいは日月金星か。




以上
「伝仁徳陵古墳(大仙古墳)出土品」
剣と鏡と鈴についての
memo



 

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TITLE: 剣と鏡と鈴(memo)

CATEGORY: こふん DATE: 04/17/2018 17:48:16


仁徳天皇陵古墳(大山古墳) 堺市
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/database/nintokutenno.html
仁徳天皇陵古墳百科 堺市 http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/hakubutsukan/kofun.html
石室からは何が発見されたの 堺市
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/nazo/naibu/sekishitsu.html
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)からは鏡がみつかったというのは、本当? 堺市
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/nazo/naibu/nintokutenno.html

ば‐たく【馬×鐸】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
馬具の一。
中につるした棒と触れ合って鳴る青銅製の小さな鈴。
日本では古墳時代の飾り馬の胸につるした。
中国では馬鈴とよぶ。

細線式獣帯鏡(直径23.5cm)…獣帯を刻んだ鏡。
獣帯はバビロニア発祥の星座の連なり。
黄道12宮の原案。
紀元5世紀頃の大阪・堺にオリエンタルな宇宙観が伝播。

三環鈴(高さ6.3cm)…まるに三ツ星。
オリオン座の三ツ星だったら面白い。
あるいは日月金星か。
馬鐸(高さ18.7cm)…アステリスク。
宇宙樹紋様。

昭和13年の『考古学』という雑誌の9巻1号には、百舌鳥村から出土してアメリカのボストン美術館の所蔵品となっている銅の鏡、太刀の柄頭(つかがしら)、銅の鈴、銅の馬鐸が紹介されている。
(堺市 文化観光局 博物館 学芸課HPより)
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)からみつかったという確証はないので、「伝仁徳陵古墳(大仙古墳)出土品」の資料としてよく使われている。
(堺市 文化観光局 博物館 学芸課HPより)

 

 

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