家聞かな 告らさね


篭もよ み篭持ち
堀串もよ み堀串持ち
この岡に 菜摘ます子
家聞かな 告らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 我れこそ居れ
しきなべて 我れこそ座せ
我れこそば
告らめ 家をも名をも

こもよ みこもち
ふくしもよ みぶくしもち
このをかに なつますこ
いへきかな のらさね
そらみつ やまとのくには
おしなべて われこそをれ
しきなべて われこそませ
われこそば
のらめ いへをもなをも

雄略天皇
( 万葉集 巻1-1、朝倉宮 野遊び 演劇 妻問媿 予祝 枕詞 地名 奈良 )


万葉集/第一巻 – Wikisource


女性に名や家を問うことは、
古来から求婚の大切なステップだった。
春の岡で女性に声をかける場面を
おおらかに詠んだ雄略天皇の歌は、
歌垣や上巳の宴などをも彷彿とさせ、
春の祝祭への寿ぎが伝わってくる。

また、大切なステップでありながら
「あなたは誰?どこの誰?」
と問うことは、ときには重大な
タブーにもなった。


ローエングリン – あかり窓

白鳥座と異界 – あかり窓


雄略天皇とどこか面影が重なる英雄
ヤマトタケルは、白鳥の姿で飛び去る。
白鳥の騎士といえば
ケルト神話の「ローエングリン」だが、
彼に出自を問うことはタブーで、
もし問えば、聖杯城へと去ってしまう。

聖杯城とは、聖杯王(漁夫王)の城で、
老いて傷ついた王の国土は荒れ地だ。
聖杯探求の騎士が城を訪れて、聖杯に
正しい質問をすれば、老王の傷は癒え、
荒れ地は沃野に変わるという。
「聖杯は、誰に奉仕するのですか?」
騎士は、こう問えば良いのだとか。

ケルトの聖杯探求伝説も、古代からの
豊穣儀礼の記憶を宿す物語だろうか。
旅する騎士達が、古城で美しい乙女に
出会ってもなかなか結ばれない姿が、
ストイックな騎士道の宮廷文学として、
中世の吟唱詩人たちにより広まった。

あなたは誰?どこの誰?

古今東西、男女の出会い・告白の場は
物語の一大テーマであり続ける。

家聞かな 告らさね

万葉集の一巻の初めに置かれるほど、
それは身近ながら謎めいて神話的な、
千年の時空を超えるロマンなのかも
しれない。


春の海(Bing Image Creator) – ぶるーまーぶる

ミヅハノメノカミ – レモン水

橘の姫と英雄王 – ginmuru-meru


押木玉鬘(おしきのたまかずら)


古事記下巻に「押木玉鬘」という
見事な髪飾りが登場する。それは、
詳しく描写されていない(例えば、
石のビーズ細工の宝冠?)形状の
「押木玉鬘=惜しき玉鬘」であり、
思わず魅了され盗んだ臣下の男の
ついた嘘が原因で、大王家一族が
大混乱し、身内同士での戦いへと
悲劇の連鎖をたどる結果になった。

持つ者を不幸に導く宝物といえば、
北欧神話の「ニーベルンゲンの歌」
が有名だ。王子ジークフリートが
龍を退治して手に入れた黄金には
呪いがかかっており、金の指輪が
引き金となって一族惨殺の愛憎劇
が幕を開け、宝はライン河に沈む。
物語は伝承を編纂した長詩として
中世に成立、後に歌劇化された。

(もっと現代に近い伝承の例では
「ホープダイアモンド」あるいは
エジプト「ファラオの呪い」等の
王家の宝をめぐる風説がある)

古事記下巻、そして日本書紀には、
雄略天皇と橘姫皇女の婚姻に絡め、
「押木玉鬘」をめぐる因果応報や、
嘘と疑いと皇位継承争いの顛末が
語られる。熾烈な争いを勝ち抜き、
皇位に就いた雄略天皇と橘姫には
子はおらず、後代は後継者に悩む。
「押木玉鬘」は、富と力との陰で
失われた真心について問いかける。



雄略天皇の幾つかのエピソードは、
山神を畏怖し、乙女に情を寄せる、
より人間らしい英雄の横顔を描く。
橘姫から「日に背を向けるな」と
諭されたり、自分自身と瓜二つの
王が率いる行列と出会い慄いたり、
川辺の乙女に求婚したままで忘れ、
誰にも嫁がずにいた老婆の訪問に
心から悔いて詫びたり……残酷な
暴君とは異なる一面をのぞかせる。
シャドウやアニマとの出会いとも
読める神話的なドラマは興味深い。

ところで古事記の完成は奈良時代、
雄略天皇の治世は5世紀半ばから
なので250年ほど昔の物語になる。
奈良時代には仏教が国策で広まり、
勾玉管玉の装飾品が廃れたという。
あるいは国家中央集権化の過程で、
各地の大王や姫の権威を奪うため、
宝玉産地の交易や工芸を禁じたり、
石を魂の依り代とする古代からの
祖霊信仰を、国分寺による仏教へ
置きかえていったとも考えられる。


翡翠と邪馬台国 – レモン水


古墳の埋葬品としても貴重だった
翡翠などの勾玉管玉が奈良時代に
仏教によって廃れていった過程は、
新潟のヌナカワヒメ(玉の川姫)
など各地の女王となるべき娘らが、
「天皇の采女」として都の宮廷に
献上される体制へと移り変わった、
大きな変化と連動するのだろうか。


たましいの依り代 – レモン水


国分寺では弁財天を祀ったという。
弁財天とは水と知恵の女神である。
国分寺は、古代の祭祀場跡の上に
建てられることもあったという。
石の文化は、鉄器・青銅器よりも
はるかに古く各地に根づいていた。
土地の水源や祭祀を司る姫巫女を
弁財天に置きかえて、豊穣祭祀を
国分寺の僧による教化へと転換し、
国策(稲作)推進を意図したのか。

「古代の水源の女神」を思い描く。
天の川の星々の粒、また雨の雫や
穀物の種のような美しいビーズを
生命と豊穣の印として身に帯びた
豪族の長や巫女が、月の暦の祭や
宴で神を演じたのではなかろうか。
たまゆら(玉と玉の触れ合う音)、
たまかぎる(玉が微かな光を放つ)
といった枕詞などの古語からは、
勾玉や管玉の飾りと宵闇の気配や
祭祀的な舞いのイメージがゆるく
結びついて、神秘的な情緒が漂う。


ほのあかり(Bing Image Creator) – レモン水


魏志倭人伝の時代には、倭国の
献上品として絹・真珠とともに
珍重された勾玉管玉だけれども、
奈良時代には生産流通がとまる。
古事記・日本書紀完成も同時代。
古事記において「押木玉鬘」が
災いの発端として描かれたのは、
史実か、あるいは物語の小道具、
いや深い意図があるのだろうか。
勾玉管玉が廃れた時代背景とも
関連しているのではなかろうか。
古来からの聖性が異文化とされ、
後の世代の民の記憶・生活から
静かに失われていったのだろう。


つゆとたま – レモン水



( 2025.5.11 イラスト作成 Bing Image Creator )


橘の姫と英雄王


いざ子ども 野蒜つみに
蒜摘みに わが行く道の
香妙し 花橘は
上枝は 鳥居枯らし
下枝は 人取り枯らし
三つ栗の 中つ枝の
ほつもり 赤ら嬢子を
いざささば 宣らしな

いざこども のびるつみに
ひるつみに わがゆくみちの
かぐわし はなたちばなは
ほつえは とりゐからし
しずえは ひととりからし
みつぐりの なかつえの
ほつもり あからをとめを
いざささば よらしな

(古事記 応神天皇条)


野蒜と橘の組み合わせが登場するのは、
古事記・日本書紀ヤマトタケル伝説と、
同じく記紀の応神(と仁徳)天皇伝承。

ヤマトタケル伝説は白い鹿(神)退治、
そして愛妾・弟橘姫への挽歌的な内容。

ヤマトタケル – Wikipedia


応神天皇伝承では、野蒜と橘の歌謡で、
美しい采女(又は政略婚の姫)を皇子に
娶らせようとする新嘗祭の酒宴の一幕。

野蒜と橘との組み合わせ、正妃ではなく
妾妃との純愛(弟橘姫の場合は殉死)、
といった点に類似要素が含まれている。

蒜摘みに わが行く道の
香妙し 花橘は

応神天皇から野蒜と橘の歌で寿がれて、
仁徳天皇と髪長姫とが授かった子の名は
「大草香皇子と橘姫皇女」
名前の由来譚とも読める、記紀編纂だ。


髪長媛(かみながひめ)とは? 意味や使い方 – コトバンク

仁徳天皇 – Wikipedia


仁徳天皇と髪長姫の娘「橘姫皇女」は、
雄略天皇の皇后になる。(子はいない)

橘姫皇女を訪ねて求婚した雄略天皇は、
白い犬を姫に贈った。ヤマトタケルが
白い鹿を野蒜で殺したとき、坂が闇に
包まれて方向を見失ったが、白い犬が
現れて道案内をしたという伝説もある。

弟橘姫と橘姫皇女ともに白い犬という
不思議な共通項が忍ばせてあるようだ。

ヤマトタケルと雄略天皇は、どちらも
兄殺しをいとわない荒っぽい弟であり、
武勇に優れた皇子・指導者でもあった。
その二人ともに橘の姫(野蒜・白い犬)
に関する物語がある点、面影がどこか
重なるように描かれているのだろうか。


雄略天皇 – Wikipedia



( 2026.3.20 野蒜イラスト作成 Bing Image Creator )
( 2025.5.11 橘イラスト作成 Bing Image Creator )


白い女神 – ぶるーまーぶる

オトタチバナヒメ – レモン水

シリウス – レモン水

家聞かな 告らさね – ginmuru-meru