橘の姫と英雄王


いざ子ども 野蒜つみに
蒜摘みに わが行く道の
香妙し 花橘は
上枝は 鳥居枯らし
下枝は 人取り枯らし
三つ栗の 中つ枝の
ほつもり 赤ら嬢子を
いざささば 宣らしな

いざこども のびるつみに
ひるつみに わがゆくみちの
かぐわし はなたちばなは
ほつえは とりゐからし
しずえは ひととりからし
みつぐりの なかつえの
ほつもり あからをとめを
いざささば よらしな

(古事記 応神天皇条)


野蒜と橘の組み合わせが登場するのは、
古事記・日本書紀ヤマトタケル伝説と、
同じく記紀の応神(と仁徳)天皇伝承。

ヤマトタケル伝説は白い鹿(神)退治、
そして愛妾・弟橘姫への挽歌的な内容。

ヤマトタケル – Wikipedia


応神天皇伝承では、野蒜と橘の歌謡で、
美しい采女(又は政略婚の姫)を皇子に
娶らせようとする新嘗祭の酒宴の一幕。

野蒜と橘との組み合わせ、正妃ではなく
妾妃との純愛(弟橘姫の場合は殉死)、
といった点に類似要素が含まれている。

蒜摘みに わが行く道の
香妙し 花橘は

応神天皇から野蒜と橘の歌で寿がれて、
仁徳天皇と髪長姫とが授かった子の名は
「大草香皇子と橘姫皇女」
名前の由来譚とも読める、記紀編纂だ。


髪長媛(かみながひめ)とは? 意味や使い方 – コトバンク

仁徳天皇 – Wikipedia


仁徳天皇と髪長姫の娘「橘姫皇女」は、
雄略天皇の皇后になる。(子はいない)

橘姫皇女を訪ねて求婚した雄略天皇は、
白い犬を姫に贈った。ヤマトタケルが
白い鹿を野蒜で殺したとき、坂が闇に
包まれて方向を見失ったが、白い犬が
現れて道案内をしたという伝説もある。

弟橘姫と橘姫皇女ともに白い犬という
不思議な共通項が忍ばせてあるようだ。

ヤマトタケルと雄略天皇は、どちらも
兄殺しをいとわない荒っぽい弟であり、
武勇に優れた皇子・指導者でもあった。
その二人ともに橘の姫(野蒜・白い犬)
に関する物語がある点、面影がどこか
重なるように描かれているのだろうか。


雄略天皇 – Wikipedia



( 2026.3.20 野蒜イラスト作成 Bing Image Creator )
( 2025.5.11 橘イラスト作成 Bing Image Creator )


白い女神 – ぶるーまーぶる

オトタチバナヒメ – レモン水

シリウス – レモン水

家聞かな 告らさね – ginmuru-meru


マグノリアの木


略)
(ああこんなけわしいひどいところを私はわたって来たのだな。けれども何というこの立派りっぱさだろう。そしてはてな、あれは。)
 諒安はうたがいました。そのいちめんの山谷のきざみにいちめんまっ白にマグノリアの木の花がいているのでした。その日のあたるところはぎんと見えかげになるところは雪のきれと思われたのです。
(けわしくもきざむこころの峯々みねみねに いま咲きそむるマグノリアかも。)う声がどこからかはっきり聞えて来ました。諒安は心も明るくあたりを見まわしました。
 すぐむこうに一本の大きなほおの木がありました。その下に二人の子供こどもみきを間にして立っているのでした。
(ああさっきから歌っていたのはあの子供らだ。けれどもあれはどうもただの子供らではないぞ。)諒安りょうあんはよくそっちを見ました。
 その子供らはうすものをつけ瓔珞ようらくをかざり日光に光り、すべて断食だんじきのあけがたのゆめのようでした。ところがさっきの歌はその子供らでもないようでした。それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木のこずえを見あげながら歌い出したからです。

「サンタ、マグノリア、
 えだにいっぱいひかるはなんぞ。」
 むこがわの子が答えました。
「天にびたつぎんはと。」
 こちらの子がまたうたいました。
「セント、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」

 諒安はしずかにすすんで行きました。
「マグノリアの木は寂静印じゃくじょういんです。ここはどこですか。」
「私たちにはわかりません。」一人の子がつつましくかしこそうなをあげながら答えました。


( 宮澤賢治「マグノリアの木」青空文庫より )

宮澤賢治 マグノリアの木