橘の蔭踏む道の


橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而

橘の
蔭踏む道の
八衢に
物をぞ思ふ
妹に逢はずして

たちばなの
かげふむみちの
やちまたに
ものをぞおもふ
いもにあはずして

( 万葉集 巻2-125番 三方沙弥 )


万葉集 第2巻 125番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ

人物詳細 | 万葉百科 奈良県立万葉文化館

山田三方 (飛鳥・奈良時代) – Wikipedia


橘、八衢といった言葉から、ふと
イザナギが黄泉の国より戻ってからの
禊と、禊からうまれた道俣神について
思い浮かべた。

イザナギが禊を行ったのは、
竺紫(筑紫)の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)
という場所で、「橘」の地名を含む。
「橘」は、橘岳のこととする伝承もあるという。

病床で愛しい妻に会えない身を、
生死を別たれた夫婦神の神話に重ねたのでは?
学識豊かだった作者ならではの表現、
というのは深読みしすぎだろうか。
(この万葉和歌の表現と、
古事記・日本書紀神話の成立と、
どちらが早いのだろうか。
また古事記・日本書紀の内容は、編纂当時
どれほど共有・周知されていたのだろうか)


道俣神 – Wikipedia


万葉時代から人々に愛された橘は、
時が移ろっても変わらぬ慕情の象徴
として、折々に歌い継がれる。

袖の香は
花橘にかへりきぬ
面影みせよ
うたたねの夢

( 新千載和歌集 二条為子 )


橘 – Wikiquote


( 2025.5.11 イラスト作成 Bing Image Creator )