押木玉鬘(おしきのたまかずら)


古事記下巻に「押木玉鬘」という
見事な髪飾りが登場する。それは、
詳しく描写されていない(例えば、
石のビーズ細工の宝冠?)形状の
「押木玉鬘=惜しき玉鬘」であり、
思わず魅了され盗んだ臣下の男の
ついた嘘が原因で、大王家一族が
大混乱し、身内同士での戦いへと
悲劇の連鎖をたどる結果になった。

持つ者を不幸に導く宝物といえば、
北欧神話の「ニーベルンゲンの歌」
が有名だ。王子ジークフリートが
龍を退治して手に入れた黄金には
呪いがかかっており、金の指輪が
引き金となって一族惨殺の愛憎劇
が幕を開け、宝はライン河に沈む。
物語は伝承を編纂した長詩として
中世に成立、後に歌劇化された。

(もっと現代に近い伝承の例では
「ホープダイアモンド」あるいは
エジプト「ファラオの呪い」等の
王家の宝をめぐる風説がある)

古事記下巻、そして日本書紀には、
雄略天皇と橘姫皇女の婚姻に絡め、
「押木玉鬘」をめぐる因果応報や、
嘘と疑いと皇位継承争いの顛末が
語られる。熾烈な争いを勝ち抜き、
皇位に就いた雄略天皇と橘姫には
子はおらず、後代は後継者に悩む。
「押木玉鬘」は、富と力との陰で
失われた真心について問いかける。



雄略天皇の幾つかのエピソードは、
山神を畏怖し、乙女に情を寄せる、
より人間らしい英雄の横顔を描く。
橘姫から「日に背を向けるな」と
諭されたり、自分自身と瓜二つの
王が率いる行列と出会い慄いたり、
川辺の乙女に求婚したままで忘れ、
誰にも嫁がずにいた老婆の訪問に
心から悔いて詫びたり……残酷な
暴君とは異なる一面をのぞかせる。
シャドウやアニマとの出会いとも
読める神話的なドラマは興味深い。

ところで古事記の完成は奈良時代、
雄略天皇の治世は5世紀半ばから
なので250年ほど昔の物語になる。
奈良時代には仏教が国策で広まり、
勾玉管玉の装飾品が廃れたという。
あるいは国家中央集権化の過程で、
各地の大王や姫の権威を奪うため、
宝玉産地の交易や工芸を禁じたり、
石を魂の依り代とする古代からの
祖霊信仰を、国分寺による仏教へ
置きかえていったとも考えられる。


翡翠と邪馬台国 – レモン水


古墳の埋葬品としても貴重だった
翡翠などの勾玉管玉が奈良時代に
仏教によって廃れていった過程は、
新潟のヌナカワヒメ(玉の川姫)
など各地の女王となるべき娘らが、
「天皇の采女」として都の宮廷に
献上される体制へと移り変わった、
大きな変化と連動するのだろうか。


たましいの依り代 – レモン水


国分寺では弁財天を祀ったという。
弁財天とは水と知恵の女神である。
国分寺は、古代の祭祀場跡の上に
建てられることもあったという。
石の文化は、鉄器・青銅器よりも
はるかに古く各地に根づいていた。
土地の水源や祭祀を司る姫巫女を
弁財天に置きかえて、豊穣祭祀を
国分寺の僧による教化へと転換し、
国策(稲作)推進を意図したのか。

「古代の水源の女神」を思い描く。
天の川の星々の粒、また雨の雫や
穀物の種のような美しいビーズを
生命と豊穣の印として身に帯びた
豪族の長や巫女が、月の暦の祭や
宴で神を演じたのではなかろうか。
たまゆら(玉と玉の触れ合う音)、
たまかぎる(玉が微かな光を放つ)
といった枕詞などの古語からは、
勾玉や管玉の飾りと宵闇の気配や
祭祀的な舞いのイメージがゆるく
結びついて、神秘的な情緒が漂う。


ほのあかり(Bing Image Creator) – レモン水


魏志倭人伝の時代には、倭国の
献上品として絹・真珠とともに
珍重された勾玉管玉だけれども、
奈良時代には生産流通がとまる。
古事記・日本書紀完成も同時代。
古事記において「押木玉鬘」が
災いの発端として描かれたのは、
史実か、あるいは物語の小道具、
いや深い意図があるのだろうか。
勾玉管玉が廃れた時代背景とも
関連しているのではなかろうか。
古来からの聖性が異文化とされ、
後の世代の民の記憶・生活から
静かに失われていったのだろう。


つゆとたま – レモン水



( 2025.5.11 イラスト作成 Bing Image Creator )


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