たまゆらの
かぐの木の実は
何処ぞと
すべもなく問ふ
花橘に
天の原
星の八街(やちまた)
影踏みて
ときじくの香を
夢見たたずむ
オリオンの
渡す天路に
ほの浮かぶ
あかつき姫の
舞い姿みる
常若(とこわか)の
かぐわしき実を
求むるは
うつつの岸の
うたかたの日々
夢影(♪Merrow) – ginmuru-meru
たまゆら(made with Suno) – ginmuru-meru
ときじくの実

たまゆらの
かぐの木の実は
何処ぞと
やちまたで問ふ
花橘に
天の原
星の八街(やちまた)
さまよひて
ときじくの香を
夢見たたずむ
( 2025.5.11~14 イラスト作成 Bing Image Creator +加工 )
橘の蔭踏む道の

橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而
橘の
蔭踏む道の
八衢に
物をぞ思ふ
妹に逢はずして
たちばなの
かげふむみちの
やちまたに
ものをぞおもふ
いもにあはずして
( 万葉集 巻2-125番 三方沙弥 )
万葉集 第2巻 125番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ
人物詳細 | 万葉百科 奈良県立万葉文化館
山田三方 (飛鳥・奈良時代) – Wikipedia
橘、八衢といった言葉から、ふと
イザナギが黄泉の国より戻ってからの
禊と、禊からうまれた道俣神について
思い浮かべた。
イザナギが禊を行ったのは、
竺紫(筑紫)の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)
という場所で、「橘」の地名を含む。
「橘」は、橘岳のこととする伝承もあるという。
病床で愛しい妻に会えない身を、
生死を別たれた夫婦神の神話に重ねたのでは?
学識豊かだった作者ならではの表現、
というのは深読みしすぎだろうか。
(この万葉和歌の表現と、
古事記・日本書紀神話の成立と、
どちらが早いのだろうか。
また古事記・日本書紀の内容は、編纂当時
どれほど共有・周知されていたのだろうか)
道俣神 – Wikipedia

万葉時代から人々に愛された橘は、
時が移ろっても変わらぬ慕情の象徴
として、折々に歌い継がれる。
袖の香は
花橘にかへりきぬ
面影みせよ
うたたねの夢
( 新千載和歌集 二条為子 )
橘 – Wikiquote
( 2025.5.11 イラスト作成 Bing Image Creator )