翡翠と邪馬台国


翡翠の勾玉が古墳副葬品として
出土する例から、
玉(石)を依り代とした祖霊信仰は、
縄文・弥生・古墳時代の日本での
シャーマニズムのひとつの形
だったことが伺われる。

「白珠五千孔、靑大勾珠二枚
および異文雑錦二十匹を貢いだ」
(魏志倭人伝)

邪馬台国の壹與が魏に献じた品は、
真珠と翡翠の勾玉だった。

日本の翡翠勾玉の産地は糸魚川で、
奈良時代以降(仏教が国教化)は
流通しなくなり忘れられた。

産地がはっきりしているので、
邪馬台国の女王は、
糸魚川の文化圏と交易または
支配していたことがわかる。
真珠の民(海洋民)とも
交易があったか支配していた。
そして、それらの地の
特産品を魏への貢ぎ物とした。

邪馬台国がどこにあったか
定説はないけれど、
九州の遺跡から翡翠の勾玉が出土。

佐賀県の遺跡,古墳リスト,金銀宝飾の出土品一覧 (netpia.jp)

糸魚川のヌナカワヒメと
出雲のオオクニヌシとの政略結婚が
古事記の神話には、描かれている。
新潟ー山陰地方の交易ルートは
九州や近畿地方とも
つながっていたのだろうか……

遼河文明 – Wikipedia

最近の研究結果で、
西遼河文明のアワ・キビ農耕民が
日本語の源流となったのでは?
というニュースが……

西遼河文明(中国北東部、紅山文化)は
玉(ヒスイ)を加工した龍や動物など
たくさん出土しているという。
縄文から続く
新潟の糸魚川の翡翠文化も、
源流はその辺り?

九州説と畿内説とで
論争が続いている邪馬台国だが、
最近は箸墓古墳=卑弥呼の墓説
が説かれ、畿内説も有力に。

列島各地にいろいろな民が
居住していたのだろうから、
そのどこかが邪馬台国、そして
卑弥呼以外にも
女王の系譜はあったのだろう。
新潟のヌナカワヒメ系や
尾張のミヤズヒメ系など。

九州あるいは畿内、それとも
他のいずこかだったろうか。
定説のない邪馬台国の所在地。
それでもなお、あこがれる
卑弥呼は悠久のロマン……

いつかその謎は
解かれるだろうけれど、
古代の女王は夢のヴェールに
包まれていてほしい気持ちも、
ほんの少しだけある。


( 2021.11.20~11.22 Twitter より )


ミヅハノメノカミ – レモン水 (ginmuru-meru.com)

星空の恵みを地におろす – レモン水 (ginmuru-meru.com)


つゆとたま


「たま」は古代から古墳時代にかけて、
魂の依り代とされていた。
(翡翠などの貴石や真珠)
天体の淡い光とも重ねられた。

「つゆ」は、「たまを連ねた装身具」
「緒の切れて散るたま」の連想から、
はかない生命や涙のしずくと
結びつけて詠まれたり、
流転する自然の刹那の美しさとして
描かれる。

「バナナ型神話」の類型に照らせば、
コノハナサクヤヒメ(短命)
イワナガヒメ(長命)のように、
玉(石・真珠・天体)は
時をこえる魂の依り代だった。
一方、はかない露は、
消えては結ぶ刹那の存在だった。
玉と露を重ねる描写には、
万物流転の仏教あるいは道教的
世界観が宿るのかもしれない。

真珠は石に比べると、
貝から採れる生体鉱物ゆえ、
長命・不老不死の例えでなく、
露により近い。
海・月光などと親和的な
印象を抱かせる。
糸魚川産の翡翠の勾玉が
流通しなくなった奈良時代以降も、
真珠の装身具は愛好された。
白玉は、
和歌以外の古典文学でも
描かれる。恋物語に多い。
(伊勢物語、古事記など)

光をば
くもらぬ月ぞ
みがきける
稲葉にかかる
あさひこの玉

西行
(山家集 秋歌)

「露」という語を使わず、
「玉」と表現した「露の歌」
(あさひこ=朝日子の説も)

月光・朝日・豊穣の稲葉。
はかない一粒の露に、
壮大な天体の運行と
みずみずしい稲の豊穣さを
宿らせた歌。
洗練されて明晰だ。

玉は、巫女が祖霊の依り代として、
豊穣儀礼などの祭祀を行っただろう
古代~古墳時代を経て、
奈良時代の仏教の国教化とともに、
翡翠の勾玉が消え、
和歌や古典文学では主に真珠(白玉)を
表すようになった。
涙・儚さなど女性的な表現から、
西行法師(平安末期~鎌倉)の
理知的な世界観に至る。


( 2021.11.28 Twitter より )


玉かぎる

玉かぎる
髣鬢(ほのか)に見えて
別れなば
もとなや恋ひむ
逢ふ時までは

山上臣憶良

(七夕の歌)
万葉集 巻八(一五二六)


玉蜻蜒
髣髴所見而
別去者
毛等奈也戀牟
相時麻而波

玉かぎる(ほのかに係る枕詞、玉の淡い光)
もとな(むやみに、どうしようもなく)

 
( 2021.11.26 Twitter より )


玉かぎる(Bing Image Creator) – レモン水 (ginmuru-meru.com)


たましいの依り代


翡翠の勾玉が古墳副葬品から
出土する例から、
玉(石)を依り代とした祖霊信仰は、
縄文・弥生・古墳時代の日本での
シャーマニズムのひとつの形
だったことが伺われる。

「白珠五千孔、靑大勾珠二枚および異文雑錦二十匹を貢いだ」
(魏志倭人伝)

壹與が魏に献じた品は、
真珠と翡翠の勾玉だった。

折口信夫 万葉集に現れた古代信仰 ――たまの問題―― (aozora.gr.jp)

底本:「日本の名随筆62 万葉(二)」作品社
   1987(昭和62)年12月25日第1刷発行
   1996(平成8)年10月30日第8刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第九巻」中央公論社
   1955(昭和30)年12月発行
(青空文庫より)


( 2021.11.20 Twitter より )