秋といへば
空すむ月を
契りおきて
光まちとる
萩の下露
藤原定家
( 拾遺愚草 巻上:花月百首 月 )
♪ 萩の葉に銀の星粒(made with Suno)
(原詩 レモン水「萩の花に金の半月」より)
( 2024.11.17 楽曲作成 Suno )
( 2024.11.21 楽曲を一部編集)
萩の花に金の半月 – レモン水
ときどきクリア希求
秋といへば
空すむ月を
契りおきて
光まちとる
萩の下露
藤原定家
( 拾遺愚草 巻上:花月百首 月 )
♪ 萩の葉に銀の星粒(made with Suno)
(原詩 レモン水「萩の花に金の半月」より)
( 2024.11.17 楽曲作成 Suno )
( 2024.11.21 楽曲を一部編集)
萩の花に金の半月 – レモン水
安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆
秋萩に
にほへる我が裳
濡れぬとも
君が御船の
綱し取りてば
あきはぎに
にほへるわがも
ぬれぬとも
きみがみふねの
つなしとりてば
阿倍継麻呂
( 万葉集 第15巻 3656番歌 )
七夕仰觀天漢各陳所思作歌三首
遣新羅使、天平8年、年紀、作者:阿倍継麻呂、羈旅、七夕、織女、女歌、宴席、福岡
万葉集 第15巻 3656番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ
秋萩の花のように装った裳が
濡れてしまおうと(かまわない)
貴方の御舟のとも綱を
手にとれるのならば……
( 2024.11.10~13 イラスト作成 Bing Image Creator +CG加工 )
萩の花 – レモン水
美知乃倍乃
宇万良能宇礼尓
波保麻米乃
可良麻流伎美乎
波可礼加由加牟
道の辺(へ)の、
茨(うまら)のうれに、
延(は)ほ豆(まめ)の、
からまる君(きみ)を、
はかれか行かむ
丈部鳥(はせつかべのとり)
万葉集 第二十巻:4352
たのしい万葉集(4352): 道の辺の茨のうれに延ほ豆の (art-tags.net)
妻との別れを惜しむ防人の歌
( 2024.11.10 イラスト作成 Bing Image Creator )
からまる君を – レモン水
しなやかに風になびく豆科の花。
公園に自生する野草だと
ずっと思っていたのだが、
しだれ咲く豊かな風情に惹かれて
写真を撮り、画像検索してみたら
かの有名な「萩」だった……
(なぜ今まで知らなかったのか?)
安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆
秋萩に
にほへる我が裳
濡れぬとも
君が御船の
綱し取りてば
あきはぎに
にほへるわがも
ぬれぬとも
きみがみふねの
つなしとりてば
阿倍継麻呂
( 万葉集 第15巻 3656番歌 )
七夕仰觀天漢各陳所思作歌三首
遣新羅使、天平8年、年紀、作者:阿倍継麻呂、羈旅、七夕、織女、女歌、宴席、福岡
万葉集 第15巻 3656番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ
秋萩の花のように装った裳が
濡れてしまおうと(かまわない)
貴方の御舟のとも綱を
手にとれるのならば……
秋といへば
空すむ月を
契りおきて
光まちとる
萩の下露
藤原定家
( 拾遺愚草 巻上:花月百首 月 )
和歌データベース
月光に照らされる萩の葉の露。
滝のように枝垂れて光る露は、
秋の天の川をイメージさせる。
「空すむ月を契りおきて」
約束の夜に半月の舟で訪れるという
彦星を待ちわびた織り姫の裳が、
天の川の雫で濡れて光るかのように。
「光まちとる」萩の露の表現には、
「君が御船の綱し取りてば」という
七夕伝説を詠んだ先行作品を踏まえ、
さらに象徴化した月光の美しさが
込められているのではないか。
澄みわたる天地の情景が浮かぶ。
からまる君を – レモン水
綱し取りてば(Bing Image Creator) – レモン水
人ならば
恨みもせまし
園のはな
枯るればかるる
蝶のこころよ
ひとならは
うらみもせまし
そののはな
かるれはかるる
てふのこころよ
障りなく
遠地をわたす
橋なれば
おち破るてふ(という)
類(たぐひ)だに見ず
おち破る蝶
焚く火だに見ず
さはりなく
とほちをわたす
はしなれは
おちやふるてふ
たくひたにみす
藤原定家
(拾遺愚草 巻上:十題百首)
和歌データベース
人だったなら
恨みたくもなりましょう、
園の花が
枯れたなら己の命も尽きる
蝶よ、そのこころよ。
障りなく無事に
はるかな彼岸へと渡らせる
橋だから、そこから
堕ちる破道の類いは一切
見たことがない。
(堕ち破る蝶=夢虫・火虫=魂を
焚く火などはまるで見えない)
……という意味の歌だろうか?
(我流の解釈なので心もとない)
四季折々の野趣に満ちた自然を
織りこみ、ストイックな美意識で
彼岸への憧憬に至る……そんな
意図から構成された自撰和歌集?
という印象を抱いた(十題百首)
「てふ(蝶)」が、
命の儚さと魂の救済という
イメージを帯びていることは、
定家の表現の鮮やかさであり
大きな魅力だと思う。
拾遺愚草 – Wikipedia