待ちつつぞ

白鳥能 飛羽山松之 待乍曽
吾戀度 此月比乎

白鳥の
飛羽山松の
待ちつつぞ
我が恋ひわたる
この月ごろを

しらとりの
とばやままつの
まちつつぞ
あがこひわたる
このつきごろを

笠郎女(笠女郎)
(万葉集 巻4-588 大伴家持への贈歌)


かささぎの
渡せる橋に
おく霜の
白きを見れば
夜ぞ更けにける

大伴家持※
(小倉百人一首 6番『新古今集』冬 620)

※この歌は後世の「家持集」に含まれ、
大伴家持の作とされてはいるが、
確定していない。
(奈良時代編纂の万葉集の
大伴家持の歌には含まれない)


平安後期~鎌倉初期の藤原定家が
小倉百人一首を編纂したとき、
この歌を大伴家持の作としたのは、
なぜだろうか?もしかしたら
家持への恋歌を数多く詠んだ
笠郎女の「白鳥の歌」を
イメージの下敷きにしたことも
理由のひとつではなかろうか……
と夢想。
(万葉集で白鳥が歌われるのは、
笠郎女の恋歌を含めわずか二首という)
(平安中期以降、白鳥の姿の「鷺舞」が
祇園祭に採り入れられるなど、
七夕伝説は、京を中心に広まった)


( 2023.12.25 & 2024.3.24  イラスト作成 Bing Image Creator +写真加工 )


白鳥(シラサギ)の舞 – レモン水 (ginmuru-meru.com)

白鳥の鷺坂山の松蔭に – レモン水 (ginmuru-meru.com)


すもうにかった びんぼうがみ


「すもうにかった びんぼうがみ 」
(松谷みよ子 再話、斎藤真成 画、福音館書店 こどものとも1973年1月号、1973.1.1初版発行)

すもうにかった びんぼうがみ|福音館書店 (fukuinkan.co.jp)

大晦日の民話。
貧しくても心優しい働き者の若夫婦が、
我が家の貧乏神に御馳走を食べさせ、
やってくる福の神との相撲勝負を応援すると?

古来より日本の相撲神事は
新年と七夕とに奉納された。
民話にも
「大晦日から新年への年越しの夜の相撲」
が物語られており、
災い転じて福となす大らかな展開が楽しい。
貧しさから豊かさへ、
闇から光への逆転劇は、
冬から春への季節に応じ
穀物を育んできた農民たちの知恵に
深く根差しているのだろう。


( 2023.12.31 Twitter より )


星空の恵みを地におろす – レモン水 (ginmuru-meru.com)

相撲、伎楽、鷺舞、七夕 – レモン水 (ginmuru-meru.com)


水の器と蛇(Bing Image Creator)


Bing Image Creator の表現で、
蛇に似た装飾のある器が宙に浮き、
少女の手に水を注いでいる。

(羽と編んだ髪の位置関係の不自然さ
など目につく部分はあるけれども)
偶然に出来た画像の
「水の器と蛇」との結びつきの
不思議さに惹かれた。

縄文土器と蛇(カガ)については、
以前に考えてみたことがある……

はちみつみかん カガセオ幻想(1)ginmuru-meru

>たとえば縄文土器は、
ナワ状の粘土を
ぐるぐる積み上げるよう重ねて、
ツボ型の器にしたりする。
カガが、蛇や籠を表す言葉だとして、
カガルって言葉は縁取る意味だとして、
カガリビが暗闇のなかで
周囲の輪郭をふちどらせる
炎の意味だとしたら、
すっきりイメージがまとまる。
縄文土器をつくる人の目線で。


( 2023.6.4 Twitter より )
( 2023.5.31 イラスト作成 Bing Image Creator )


四月愚者

古代人の死生観、洋の東西をざっくり越えて、

前世、お魚や鳥さんや馬や牛や羊や豚だったの。
この世を去ったら、舟で星の海に出て、
天の川の星粒になって空から見守り、
雨といっしょに地上に降りて
穀物に宿って実るから。
達者で暮らしてね。

こんな感じだったかも?
と家族に話し、沈黙された。

エイプリルフールの午前。
絵本の読み聞かせ調で語ってみたのである……
(淡々と真顔で)
(ゆえに、たぶん反応に困ったのだと思う)

(新年度の始まり、私は
道化と犠牲王と鬼について等を検索し、
見つけたPDFを読んだのだが、
7年前にも同じその論考をダウンロード
していたことに気づいた……)

この一年こそは
滝に打たれるなり
手堅い読書に励むなり
精進しようと思ふ
四月愚者。
(その決意はゆるい……)
 Orz


( 2023.4.1 Twitter より )


白鳥(シラサギ)の舞


小正月あれこれ – レモン水 (ginmuru-meru.com)

ブログより「小正月あれこれ」
>小正月には「鳥追い」という行事が伝わる地方もある。

左義長 – Wikipedia

Wikipediaより「左義長」の項。
小正月のどんど焼きを
サギチョウと呼ぶ地方がある。
サギの語に、
鷺(天の川に橋をかける鳥)
の意味は含まれないだろうか?

不死鳥は炎とともに空高く・小正月行事「どんど焼き」の深層とは《後編》(季節・暮らしの話題 2021年01月23日) – 日本気象協会 tenki.jp

↑ おお、またこのブログさんにドンピシャ記事が……☆

鳥(サギ)
=古代エジプトの不死鳥ベンヌ(太陽の母鳥アオサギ)
→地中海文明のフェニックス
≒三本足の八咫烏(中国・太陽の神鳥≒西王母の使者)

ベンヌ – Wikipedia

「無限空間」さんのベヌウの項を参照したら、
「オスらしい(=母鳥ではない)」
「オシリスとの関連」
などが指摘されていた。

エジプト(ベンヌ)
地中海(フェニックス)
中東(アンズー)
インド(ガルーダ、カルラ)
中国(三足烏 cf. 鳳凰)
日本(八咫烏)

新年の到来・太陽光の復活や
農耕豊穣にまつわる祭祀(古代の火祭り)と
神鳥が結びつき、海を越え時を越え、
どんど焼き(サギチョウ)が
日本にも伝播したのだろうか。

日本では白鳥座の星の並びに
「白鳥」をあてはめる伝承・呼び名はなく、
一等星デネブには
七夕と関わる呼び名が各地に残る。

星・星座に関する方言 – Wikiwand

彦星・織り姫星を隔てる天の川に
年に一度架かるカササギの橋と
デネブが結びつき、
中国の七夕伝説のカササギは
日本ではシラサギ(白鳥)に置き換わった。

白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
右柿本朝臣人麻呂之歌集所出

万葉集の時代(奈良時代末期まで)には、
歌人に「七夕伝説、白鳥=シラサギ」
の知識に基づく情緒が共有された。
遷都を経て、平安の疫病の流行、
富士山噴火・陸奥の貞観地震など
社会不安を背景に京の祇園祭が始まり、
鷺舞も加わる。

鷺舞神事(祗園祭)|【公式】島根県石見(いわみ)の観光情報サイト|なつかしの国石見 (all-iwami.com)

平安中期(10世紀頃)に
盛んになった京の祇園祭、
その行事のひとつに鷺舞神事があり、
室町時代末期に山口を経て
島根県津和野に伝わった鷺舞が
現代へと受け継がれた。
町の祭礼を通じて
「七夕伝説、白鳥=シラサギ=カササギ」
のイメージが、
人々に広く共有された過程がわかる。

柿本人麻呂歌集(かきのもとのひとまろかしゅう)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)

柿本人麻呂歌集は、
万葉集成立以前に人麻呂が編集した
2巻の和歌集らしく、
そこに所収されていても
人麻呂自身が詠んだ歌とは限らない。
(なんという罠か)

柿本人麻呂を高く評価し、
和歌の「三十六人撰」筆頭にあげて
後世に広めたのは、
平安中期(966~1041)の歌人・藤原公任。

藤原公任 「三十六人撰」 原文と朗読 (mukei-r.net)

藤原公任 – Wikipedia

平安中期には
仏教と神社祭祀が融合して(神仏習合)
京都の祇園祭が盛んになった。
藤原公任が生きた時代も
そんな空気の中にあっただろうか、と夢想。
漢文学の教養を下地に、
花鳥風月の情緒を重んじた和歌の確立。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
  大納言公任(藤原公任)
(小倉百人一首 55番『千載集』雑上・1035)

歌人の矜持にとどまらず、
もっと素朴な感慨
(公任が数多く触れ、
編集してきた先ゆく歌人達への共感、
和漢の別なく時を越えて伝わる言葉への畏敬)
を感じる。

疫病大流行や自然災害
(富士山噴火・貞観地震)で
多くの命が奪われた後、
残された人の心を長い時をかけ
癒したのが
「天の川に橋をかける白鳥の舞」
「別れ別れのふたりが
星の川を渡って再会する物語」
だったのではなかろうか、と夢想。
(万葉歌人の教養の世界から、
広く町民に伝承される神事への移行)

「長い長い時の中で
人がなぜ異界の物語を必要としてきたか、
それを伝え続けてきたか」
という問いへの、
ひとつの答えを「鷺舞」にみる想いがする。

(が、それは私の夢想にすぎない)
(明日が12年目の3月11日だから、
尚更そんな想いにふけるのかもしれない)
(うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと)


( 2023.3.9~3.10 Twitter より )


瀬をはやみ – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)

待ちつつぞ – レモン水 (ginmuru-meru.com)