小正月あれこれ – レモン水 (ginmuru-meru.com)
ブログより「小正月あれこれ」
>小正月には「鳥追い」という行事が伝わる地方もある。
左義長 – Wikipedia
Wikipediaより「左義長」の項。
小正月のどんど焼きを
サギチョウと呼ぶ地方がある。
サギの語に、
鷺(天の川に橋をかける鳥)
の意味は含まれないだろうか?
不死鳥は炎とともに空高く・小正月行事「どんど焼き」の深層とは《後編》(季節・暮らしの話題 2021年01月23日) – 日本気象協会 tenki.jp
↑ おお、またこのブログさんにドンピシャ記事が……☆
鳥(サギ)
=古代エジプトの不死鳥ベンヌ(太陽の母鳥アオサギ)
→地中海文明のフェニックス
≒三本足の八咫烏(中国・太陽の神鳥≒西王母の使者)
ベンヌ – Wikipedia
「無限空間」さんのベヌウの項を参照したら、
「オスらしい(=母鳥ではない)」
「オシリスとの関連」
などが指摘されていた。
エジプト(ベンヌ)
地中海(フェニックス)
中東(アンズー)
インド(ガルーダ、カルラ)
中国(三足烏 cf. 鳳凰)
日本(八咫烏)
新年の到来・太陽光の復活や
農耕豊穣にまつわる祭祀(古代の火祭り)と
神鳥が結びつき、海を越え時を越え、
どんど焼き(サギチョウ)が
日本にも伝播したのだろうか。
日本では白鳥座の星の並びに
「白鳥」をあてはめる伝承・呼び名はなく、
一等星デネブには
七夕と関わる呼び名が各地に残る。
星・星座に関する方言 – Wikiwand
彦星・織り姫星を隔てる天の川に
年に一度架かるカササギの橋と
デネブが結びつき、
中国の七夕伝説のカササギは
日本ではシラサギ(白鳥)に置き換わった。
白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
右柿本朝臣人麻呂之歌集所出
万葉集の時代(奈良時代末期まで)には、
歌人に「七夕伝説、白鳥=シラサギ」
の知識に基づく情緒が共有された。
遷都を経て、平安の疫病の流行、
富士山噴火・陸奥の貞観地震など
社会不安を背景に京の祇園祭が始まり、
鷺舞も加わる。
鷺舞神事(祗園祭)|【公式】島根県石見(いわみ)の観光情報サイト|なつかしの国石見 (all-iwami.com)
平安中期(10世紀頃)に
盛んになった京の祇園祭、
その行事のひとつに鷺舞神事があり、
室町時代末期に山口を経て
島根県津和野に伝わった鷺舞が
現代へと受け継がれた。
町の祭礼を通じて
「七夕伝説、白鳥=シラサギ=カササギ」
のイメージが、
人々に広く共有された過程がわかる。
柿本人麻呂歌集(かきのもとのひとまろかしゅう)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
柿本人麻呂歌集は、
万葉集成立以前に人麻呂が編集した
2巻の和歌集らしく、
そこに所収されていても
人麻呂自身が詠んだ歌とは限らない。
(なんという罠か)
柿本人麻呂を高く評価し、
和歌の「三十六人撰」筆頭にあげて
後世に広めたのは、
平安中期(966~1041)の歌人・藤原公任。
藤原公任 「三十六人撰」 原文と朗読 (mukei-r.net)
藤原公任 – Wikipedia
平安中期には
仏教と神社祭祀が融合して(神仏習合)
京都の祇園祭が盛んになった。
藤原公任が生きた時代も
そんな空気の中にあっただろうか、と夢想。
漢文学の教養を下地に、
花鳥風月の情緒を重んじた和歌の確立。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任(藤原公任)
(小倉百人一首 55番『千載集』雑上・1035)
歌人の矜持にとどまらず、
もっと素朴な感慨
(公任が数多く触れ、
編集してきた先ゆく歌人達への共感、
和漢の別なく時を越えて伝わる言葉への畏敬)
を感じる。
疫病大流行や自然災害
(富士山噴火・貞観地震)で
多くの命が奪われた後、
残された人の心を長い時をかけ
癒したのが
「天の川に橋をかける白鳥の舞」
「別れ別れのふたりが
星の川を渡って再会する物語」
だったのではなかろうか、と夢想。
(万葉歌人の教養の世界から、
広く町民に伝承される神事への移行)
「長い長い時の中で
人がなぜ異界の物語を必要としてきたか、
それを伝え続けてきたか」
という問いへの、
ひとつの答えを「鷺舞」にみる想いがする。
(が、それは私の夢想にすぎない)
(明日が12年目の3月11日だから、
尚更そんな想いにふけるのかもしれない)
(うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと)
( 2023.3.9~3.10 Twitter より )
瀬をはやみ – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)
待ちつつぞ – レモン水 (ginmuru-meru.com)