タマルの実と成木責め


古代から中東で生命の樹として
大切にされ信仰されていた
ナツメヤシ。その熟した実は
タマルと呼ばれる。
砂漠の旅でもナツメヤシの実は
貴重な食糧になった。

タマの語源が
タマルだったら面白い、と
夢想、妄想。

日本ではデーツと呼ばれる、
甘い干柿に似た味。

ついでに「玉」の字。
緒でつないだ3つの宝玉は、
オリオン座の三ッ星を表すならば、
面白い……

 古代、ナツメヤシの樹は、
「お宝」だった。
樹高が10メートル以上になり、
雌雄の樹があって風媒花だけれど、
雌の樹の花房に、
雄の樹の花房をフサフサと触れさせ、
人工的に受粉させたという。
古代中東シュメールでは、
新年に王がナツメヤシの若木を
成木責めする神事があったらしい。
「早く芽を出せ、柿の種」

220px-Dates001.jpg (220×330) (wikimedia.org)

Wikipedia よりナツメヤシの実。
お宝だし、生命の源で、玉。
食は生命、
携帯食は魂(……食い気のみ)

猿蟹合戦は、アジアに類話がたくさんある。
成木責め(なりきぜめ)神事は、
ヨーロッパやアジア・日本にも広がりを持つ。
「早く大きくならないと、こうするぞ」
と若木を責めるという。

若木を管理する=計画的な植林は、
古代中東でも行われていたらしい。
雄の樹一本の周囲に
雌の樹をたくさん植えて、
風任せにせず、フサフサ授粉作業。
高所での危険な仕事だった。

成木責めの別バージョンが、
悪い子はいねがあ、のナマハゲかも?
新春の「こども責め」

たとえば
サンタクロースも
昔のヨーロッパでは森の神的な存在で、
ナマハゲに近い存在だったのでは?
黒いサンタさん、悪い子にはムチを
くれたという……

日本は島国だから、大陸から
伝わった古代の文化が
長く保存されているのかもしれない……
(ナマハゲは怖そう)


( 2021.12.7 Twitter より )


たま、あれこれ


たま(石・宝石ー翡翠、真珠など・天体ー太陽と月など)
魂の依り代
淡い光、かすかに触れ合う音
緒で結ばれる&緒が切れて散らばる
枕元に置いて眠る
旅先に身に着けて持って行く

つゆ(草の葉などに結ぶ夜露、涙や雨のしずく、梅雨、飲食物の呼び名)

たまとつゆ(儚さ、生命観、時空の流転など)

あらみたま、にぎみたま、
さきみたま、くしみたま
たまはがね、すぎだま、おとしだま、
たまむし(いろ)、しらたま、
みずたま、たまたま
くすだま、まゆだま、ゆきだま
しりこだま、ひとだま、めだま
あめだま、おおめだま、たまご
たまゆら、たまかぎる、たまきはる
たまむすび、たまどめ、たまさか
たまら(デーツ)

漢字の形の由来
(三つの玉をひもでつないだ)
は検索すると出てくるけど、
何故「たま」って言うのかなぁ?
という
語源はみつからなかった……Orz

タマル(熟したナツメヤシの実=デーツ)
ナツメヤシは生命の樹
デーツは砂漠の旅を支えた食料
(エデンの園の生命の実という説もある、
たぶんそうだろうと私も思う)

アケルダマ
(日の出と日没の地平線)

女神の地平線と獅子 – レモン水 (ginmuru-meru.com)

アケルダマ……

海を奏でる女神 – レモン水 (ginmuru-meru.com)

水源の女神……

古今東西
女神の系譜、巫女の系譜……

ざっくりイメージの網を
張っておけば
あとは自由に夢想し
「こんなのもあり?」
と巫女像を掴めれば、
それでいいはず……
求める世界は
ファンタジーだから。

でもとりとめなく
卑弥呼、西王母、フレイヤ……
などイメージの霧の中を漂う。
塚信仰、呪術……


( 2021.12.6~7 Twitter より )


粘土板に刻まれた物語


ルガルバンダ王子の冒険: 古代メソポタミアの物語 (大型絵本) | キャシー ヘンダソン, ジェイン レイ, Jane Ray, Kathy Henderson, 百々 佑利子 |本 | 通販 | Amazon

粘土板に刻まれた5000年昔の物語。

古代中東に、
隣国との和平について
女神の託宣を伝えた王子がいて、
山岳地帯の相手国を攻めず
宝石職人を保護。
穀物支援して、
王国は交易で発展したという。

平和外交は、古代からの知恵。
そして、その時代の
システムがうまく回っているなら
平和が維持される。

メソポタミアは西方からの民に
征服されバビロニアになったし、
(シュメール文化が神話などで残る)
中東地方は
灌漑農業で塩害がすすんで、
土地がやせた。
洪水を受け入れ土地が肥沃だった
エジプトは繁栄したという。

さらに
古代中東シュメールでは
教育に経済的負担がかかり、
子育てが大変だったらしい。
粘土板に文字を刻んだり、
天体観測したり、
青銅器や農耕技術を
発達させた人々にも悩みはあった。

都市化で人口密度が高まり、
伝染病に脅かされ、
神官(官僚)機構を維持するため
教育に時間や経費がかかった。

天文知識や工芸・建築技術など発達し、
交易も盛んだった一方で、
気候変動や集約農法や燃料・資材のために
農地が荒れ、森林資源も枯渇。
奴隷労働が必要な社会だったという。

学校時代 – Wikipedia

紀元前2000年頃のシュメール文学に
「学校時代」
という粘土板の作品がある。

Wikipediaであらすじを読むと、
今から4000年も昔の異国とは
とても思えず驚かされる。

数学も医学も化学も文学も
シュメールの頃にはもう粘土板に
刻まれ継承される知識になっている。
石鹸の作り方まで記してあるらしい。
医学の知識は薬(毒)にもつながる。
毒にも薬にも……
文明の功罪を思う。


( 2021.11.20~11.21 Twitter より )

翡翠と邪馬台国


翡翠の勾玉が古墳副葬品として
出土する例から、
玉(石)を依り代とした祖霊信仰は、
縄文・弥生・古墳時代の日本での
シャーマニズムのひとつの形
だったことが伺われる。

「白珠五千孔、靑大勾珠二枚
および異文雑錦二十匹を貢いだ」
(魏志倭人伝)

邪馬台国の壹與が魏に献じた品は、
真珠と翡翠の勾玉だった。

日本の翡翠勾玉の産地は糸魚川で、
奈良時代以降(仏教が国教化)は
流通しなくなり忘れられた。

産地がはっきりしているので、
邪馬台国の女王は、
糸魚川の文化圏と交易または
支配していたことがわかる。
真珠の民(海洋民)とも
交易があったか支配していた。
そして、それらの地の
特産品を魏への貢ぎ物とした。

邪馬台国がどこにあったか
定説はないけれど、
九州の遺跡から翡翠の勾玉が出土。

佐賀県の遺跡,古墳リスト,金銀宝飾の出土品一覧 (netpia.jp)

糸魚川のヌナカワヒメと
出雲のオオクニヌシとの政略結婚が
古事記の神話には、描かれている。
新潟ー山陰地方の交易ルートは
九州や近畿地方とも
つながっていたのだろうか……

遼河文明 – Wikipedia

最近の研究結果で、
西遼河文明のアワ・キビ農耕民が
日本語の源流となったのでは?
というニュースが……

西遼河文明(中国北東部、紅山文化)は
玉(ヒスイ)を加工した龍や動物など
たくさん出土しているという。
縄文から続く
新潟の糸魚川の翡翠文化も、
源流はその辺り?

九州説と畿内説とで
論争が続いている邪馬台国だが、
最近は箸墓古墳=卑弥呼の墓説
が説かれ、畿内説も有力に。

列島各地にいろいろな民が
居住していたのだろうから、
そのどこかが邪馬台国、そして
卑弥呼以外にも
女王の系譜はあったのだろう。
新潟のヌナカワヒメ系や
尾張のミヤズヒメ系など。

九州あるいは畿内、それとも
他のいずこかだったろうか。
定説のない邪馬台国の所在地。
それでもなお、あこがれる
卑弥呼は悠久のロマン……

いつかその謎は
解かれるだろうけれど、
古代の女王は夢のヴェールに
包まれていてほしい気持ちも、
ほんの少しだけある。


( 2021.11.20~11.22 Twitter より )


ミヅハノメノカミ – レモン水 (ginmuru-meru.com)

星空の恵みを地におろす – レモン水 (ginmuru-meru.com)


つゆとたま


「たま」は古代から古墳時代にかけて、
魂の依り代とされていた。
(翡翠などの貴石や真珠)
天体の淡い光とも重ねられた。

「つゆ」は、「たまを連ねた装身具」
「緒の切れて散るたま」の連想から、
はかない生命や涙のしずくと
結びつけて詠まれたり、
流転する自然の刹那の美しさとして
描かれる。

「バナナ型神話」の類型に照らせば、
コノハナサクヤヒメ(短命)
イワナガヒメ(長命)のように、
玉(石・真珠・天体)は
時をこえる魂の依り代だった。
一方、はかない露は、
消えては結ぶ刹那の存在だった。
玉と露を重ねる描写には、
万物流転の仏教あるいは道教的
世界観が宿るのかもしれない。

真珠は石に比べると、
貝から採れる生体鉱物ゆえ、
長命・不老不死の例えでなく、
露により近い。
海・月光などと親和的な
印象を抱かせる。
糸魚川産の翡翠の勾玉が
流通しなくなった奈良時代以降も、
真珠の装身具は愛好された。
白玉は、
和歌以外の古典文学でも
描かれる。恋物語に多い。
(伊勢物語、古事記など)

光をば
くもらぬ月ぞ
みがきける
稲葉にかかる
あさひこの玉

西行
(山家集 秋歌)

「露」という語を使わず、
「玉」と表現した「露の歌」
(あさひこ=朝日子の説も)

月光・朝日・豊穣の稲葉。
はかない一粒の露に、
壮大な天体の運行と
みずみずしい稲の豊穣さを
宿らせた歌。
洗練されて明晰だ。

玉は、巫女が祖霊の依り代として、
豊穣儀礼などの祭祀を行っただろう
古代~古墳時代を経て、
奈良時代の仏教の国教化とともに、
翡翠の勾玉が消え、
和歌や古典文学では主に真珠(白玉)を
表すようになった。
涙・儚さなど女性的な表現から、
西行法師(平安末期~鎌倉)の
理知的な世界観に至る。


( 2021.11.28 Twitter より )