粘土板に刻まれた物語


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粘土板に刻まれた5000年昔の物語。

古代中東に、
隣国との和平について
女神の託宣を伝えた王子がいて、
山岳地帯の相手国を攻めず
宝石職人を保護。
穀物支援して、
王国は交易で発展したという。

平和外交は、古代からの知恵。
そして、その時代の
システムがうまく回っているなら
平和が維持される。

メソポタミアは西方からの民に
征服されバビロニアになったし、
(シュメール文化が神話などで残る)
中東地方は
灌漑農業で塩害がすすんで、
土地がやせた。
洪水を受け入れ土地が肥沃だった
エジプトは繁栄したという。

さらに
古代中東シュメールでは
教育に経済的負担がかかり、
子育てが大変だったらしい。
粘土板に文字を刻んだり、
天体観測したり、
青銅器や農耕技術を
発達させた人々にも悩みはあった。

都市化で人口密度が高まり、
伝染病に脅かされ、
神官(官僚)機構を維持するため
教育に時間や経費がかかった。

天文知識や工芸・建築技術など発達し、
交易も盛んだった一方で、
気候変動や集約農法や燃料・資材のために
農地が荒れ、森林資源も枯渇。
奴隷労働が必要な社会だったという。

学校時代 – Wikipedia

紀元前2000年頃のシュメール文学に
「学校時代」
という粘土板の作品がある。

Wikipediaであらすじを読むと、
今から4000年も昔の異国とは
とても思えず驚かされる。

数学も医学も化学も文学も
シュメールの頃にはもう粘土板に
刻まれ継承される知識になっている。
石鹸の作り方まで記してあるらしい。
医学の知識は薬(毒)にもつながる。
毒にも薬にも……
文明の功罪を思う。


( 2021.11.20~11.21 Twitter より )

翡翠と邪馬台国


翡翠の勾玉が古墳副葬品として
出土する例から、
玉(石)を依り代とした祖霊信仰は、
縄文・弥生・古墳時代の日本での
シャーマニズムのひとつの形
だったことが伺われる。

「白珠五千孔、靑大勾珠二枚
および異文雑錦二十匹を貢いだ」
(魏志倭人伝)

邪馬台国の壹與が魏に献じた品は、
真珠と翡翠の勾玉だった。

日本の翡翠勾玉の産地は糸魚川で、
奈良時代以降(仏教が国教化)は
流通しなくなり忘れられた。

産地がはっきりしているので、
邪馬台国の女王は、
糸魚川の文化圏と交易または
支配していたことがわかる。
真珠の民(海洋民)とも
交易があったか支配していた。
そして、それらの地の
特産品を魏への貢ぎ物とした。

邪馬台国がどこにあったか
定説はないけれど、
九州の遺跡から翡翠の勾玉が出土。

佐賀県の遺跡,古墳リスト,金銀宝飾の出土品一覧 (netpia.jp)

糸魚川のヌナカワヒメと
出雲のオオクニヌシとの政略結婚が
古事記の神話には、描かれている。
新潟ー山陰地方の交易ルートは
九州や近畿地方とも
つながっていたのだろうか……

遼河文明 – Wikipedia

最近の研究結果で、
西遼河文明のアワ・キビ農耕民が
日本語の源流となったのでは?
というニュースが……

西遼河文明(中国北東部、紅山文化)は
玉(ヒスイ)を加工した龍や動物など
たくさん出土しているという。
縄文から続く
新潟の糸魚川の翡翠文化も、
源流はその辺り?

九州説と畿内説とで
論争が続いている邪馬台国だが、
最近は箸墓古墳=卑弥呼の墓説
が説かれ、畿内説も有力に。

列島各地にいろいろな民が
居住していたのだろうから、
そのどこかが邪馬台国、そして
卑弥呼以外にも
女王の系譜はあったのだろう。
新潟のヌナカワヒメ系や
尾張のミヤズヒメ系など。

九州あるいは畿内、それとも
他のいずこかだったろうか。
定説のない邪馬台国の所在地。
それでもなお、あこがれる
卑弥呼は悠久のロマン……

いつかその謎は
解かれるだろうけれど、
古代の女王は夢のヴェールに
包まれていてほしい気持ちも、
ほんの少しだけある。


( 2021.11.20~11.22 Twitter より )


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