「たま」は古代から古墳時代にかけて、
魂の依り代とされていた。
(翡翠などの貴石や真珠)
天体の淡い光とも重ねられた。
「つゆ」は、「たまを連ねた装身具」
「緒の切れて散るたま」の連想から、
はかない生命や涙のしずくと
結びつけて詠まれたり、
流転する自然の刹那の美しさとして
描かれる。
「バナナ型神話」の類型に照らせば、
コノハナサクヤヒメ(短命)
イワナガヒメ(長命)のように、
玉(石・真珠・天体)は
時をこえる魂の依り代だった。
一方、はかない露は、
消えては結ぶ刹那の存在だった。
玉と露を重ねる描写には、
万物流転の仏教あるいは道教的
世界観が宿るのかもしれない。
真珠は石に比べると、
貝から採れる生体鉱物ゆえ、
長命・不老不死の例えでなく、
露により近い。
海・月光などと親和的な
印象を抱かせる。
糸魚川産の翡翠の勾玉が
流通しなくなった奈良時代以降も、
真珠の装身具は愛好された。
白玉は、
和歌以外の古典文学でも
描かれる。恋物語に多い。
(伊勢物語、古事記など)
光をば
くもらぬ月ぞ
みがきける
稲葉にかかる
あさひこの玉
西行
(山家集 秋歌)
「露」という語を使わず、
「玉」と表現した「露の歌」
(あさひこ=朝日子の説も)
月光・朝日・豊穣の稲葉。
はかない一粒の露に、
壮大な天体の運行と
みずみずしい稲の豊穣さを
宿らせた歌。
洗練されて明晰だ。
玉は、巫女が祖霊の依り代として、
豊穣儀礼などの祭祀を行っただろう
古代~古墳時代を経て、
奈良時代の仏教の国教化とともに、
翡翠の勾玉が消え、
和歌や古典文学では主に真珠(白玉)を
表すようになった。
涙・儚さなど女性的な表現から、
西行法師(平安末期~鎌倉)の
理知的な世界観に至る。
( 2021.11.28 Twitter より )